ホーチミンにある無数の小さな脇道——これらをベトナム語で「ヘム(Hẻm)」と言います。ビルとビルの隙間にある細い道で、観光で歩いていると一度は目にしたことがあるはずです。気づかず通り過ぎているかもしれませんが。


先日ブイビエンの街をGoogleマップを頼りに歩いていて、ヘムの中へ迷い込みました。ようやく通りへ抜け出たとき、まるで異空間から現実に戻ってきたような気がしました。その後気になり、ヘムについて調べることにしました。
有機的に発生した細い路地

ヘムは計画的に整備された道ではなく、歴史的な移住と定住のプロセスの中で有機的に成長してきた場所です。現在もホーチミン市民の約80%がヘムの中で暮らしていると言われています。
ヘムはいつ、なぜ生まれたのか

1954年のジュネーブ協定以降、北部から南部への大規模な人口移動が起こりました。さらに1986年のドイモイ(刷新)政策によって経済が開放されると、ホーチミン市には急速な都市化の波が押し寄せます。
戦火や貧困から逃れるため、多くの人々が「安全な都市」としてサイゴン(現ホーチミン市)へと流れ込みましたが、爆発的に増えた人口に対して公的な住宅供給はまったく追いつきませんでした。
人々はわずかな空き地を見つけては自ら家を建て、家族や親戚を呼び寄せました。家が密集していく中で、家と家の間に残された細い隙間がやがて「道」になっていきます。その小さな道が枝分かれを繰り返し、現在のホーチミンに見られる「アリの巣」のようなヘムの路地網が形づくられていったのです。
「ヘム文化」とは何か

ヘムは単なる裏路地ではなく、ひとつの完結した小社会(マイクロコミュニティ)です。それぞれの路地の中に、食堂・作業場・美容院・小さな寺院などが揃っています。家は風通しが悪いため玄関を開け放っており、オープンな暮らしが営まれています。路地のひとつひとつが独立した「村」のようなイメージです。
ヘムの門(Cổng Chào)— 物理的・心理的な境界線


多くのヘムの入り口には、通りの名前や番号が書かれた「門」やアーチがあります。この門には「ここから先は公道ではなく、自分たちの領土である」という意味があり、住人同士の連帯感と防犯意識を高める役割があります。

夜間になると、門のついたヘムでは大きな鉄製のゲートを閉めます。外部車両や不審者の侵入を物理的に遮断するためです。
「Khu Phố Văn Hóa」— 優良住民エリアの称号


アーチに書かれた「Khu Phố Văn Hóa」は、ベトナム政府が公式に与える優良住民エリアの称号です。
- Khu = エリア、区域
- Phố = 街区、通り
- Văn Hóa = 文化・モラル・生活態度


「ゴミを捨てない、騒がない、犯罪を起こさない、近所とトラブルを起こさない、行政のルールを守る」——そうした住民が多い場所に与えられるお墨付きです。ヘムに住む人々が自ら規律を守り、コミュニティを大切にしていることがわかります。
迷宮構造が生む「防犯」の効果

ヘムは基本的に袋小路か、非常に複雑に枝分かれしています。この構造は外敵が簡単に侵入できないための「自衛」の仕組みでもあります。
ホーチミンの表通りでは時折バイクによるひったくりが起こりますが、ヘムの中では稀です。犯罪が起きれば住民が即座に出入り口を塞ぐため、犯人は逃げられません。住人にとっては勝手知ったる庭でも、部外者には一度入ると出られない迷宮——この構造が住民同士の結束を強め、家族の安全を守るシェルターの役割を果たしています。
進む「二極化」— 伝統と高級化の狭間で
2026年、ホーチミンの不動産市場は価格上昇が続いています。ヘム内の住宅は、従来の住人が暮らす素朴な部屋と、外国人・オフィス向けに改装された高級物件に二極化が進んでいます。
- ローカル向け(素朴な1部屋): 月額 約8,000円〜2.5万円。
- 外国人やオフィスなどの改装物件: 月額 約5万円〜10万円。
1階をカフェに、2階を外国人向けシェアハウスに改装するスタイルも流行しています。1区のヘムは立地が良く「ここに住みたい」と思う気持ちはよくわかります。ただ、代々積み上げられてきたあの雰囲気が壊れてしまうのは、正直悲しくもあります。
観光客として歩くときの注意点

飲食店が並ぶ賑やかなヘムもありますが、基本的には住人の生活空間です。以下のことに気をつければ、ヘムはとても静かで安全な場所です。
- 家の中などを無理に撮影したり、アップロードしない
- 夜遅くや、明らかに私有地の奥には入り込まない
- 騒がず、立ち止まりすぎない。
今後、区画整理が進み、こうしたヘムも近代的な建物へと姿を変えていくでしょう。だからこそ、今のうちに一度歩いてみてほしい場所です。









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